アルマ・マータ・クワイアの概要

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アルマ・マータ・クワイアという合唱団をあなたは、ご存知ですか?

アルマ・マータ・クワイアは、昭和22(1947)年7月、「歌のすきな男性ならだれでも一緒に歌おう」と9人の先輩によってスタートし、現在まで69年間、大阪を中心に活動する一般男声合唱団です。この歴史の中で、作曲家多田武彦氏はアルマ初期の団員、指揮者として活躍されました。また、東京混声合唱団桂冠指揮者田中信昭先生に長年にわたり指導を受けています。

田中信昭先生

アルマはここ15年間日本合唱界の巨峰、田中信昭先生を客演指揮者(東京混声桂冠指揮者)に戴き、田中先生より、合唱技術は勿論、合唱人としての心構え、どのように歌ったら聴衆の皆様に感動頂けるのか等 厳しくも、深く、幅広く、ご指導を頂き、田中先生もアルマを愛してやまない大阪、神戸、京都、奈良、滋賀を中心とした関西の中高年、団塊の世代、シニアで構成される一般男声合唱団です。

田中先生語録の内容の一部をご紹介いたしますと

  • (1) 顎を上げ下げすることのみで、力を入れず、リラックスして音程「ドレドレドレドレ ドドドド‥‥‥」を「ロウ」で20回以上続ければ顎の上げ下げにより少しでも声帯が響くようになり声の響きが頭全体に伝わる。
    自分は大学時代に恩師(マルガレーテ・ネトケ・レーヴェさん)より「「ロウロウ」を徹底的に教えられた。
    頬をたたけば鼓のように響く。
  • (2) 正しい音程で歌うには今自分が出している音程を自分で聞き続けること。
    各自音程を正しく出していると思っていても音程は常に正しいとは限らない(音は人間の体で創りあげているもので、その人間の体の体調は秒単位で変化する。)
  • (2)-1このことを自得していない人で、音程に自信を持っている人程、音程を乱しやすい。
    同じ音程の音でも、母音が異なれば物理的に後ろの音程は変る。
    アイウエオを発音すると口の形が異なる故、音程も異なってくる。
  • (3) 合唱に必要な声とは――自分の声で周りの人の声を包み込んでいく、いい音程で豊かな声で包んでやる、連れて行きあう、それがアンサンブル。そのことができる声である。(それはソロとは違う声である。)
  • (4) 文化とは文芸で人を変えてゆくということ。文化を発信し、交流することにより人を進化させて来た。等々

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II. アルマの第1回定演(昭和29年)の指揮者は多田武彦氏です。

アルマの第1回定演

多田武彦氏はアルマの初期に指揮者(団員)を務められ、現アルマの団歌作曲、アルマ創立50周年記念定演に「父のゐる庭」を客演指揮、2008年にはアルマ創立60周年記念委嘱曲 伊東静雄作詩の男声合唱組曲“春のいそぎ”を作曲して頂き、併せて アルマ定演では数多くの多田武彦氏の名作を歌ってまいりました。特に2011年12月4日(日)のアルマ第50回記念定期演奏会では多田武彦作品中の名曲を集めての“多田武彦作品集”を広く外部の多田武彦作品の愛好家の皆様にもご出演をよびかけ、アルマ定演第50回記念の感動の一般公開ステージを持つことが出来ました。2012年は立原道造作詞 多田武彦作曲 男声合唱組曲「眠りの誘ひ」をアルマが初演し、昨年もアルマでは引き続き多田武彦氏作曲、三好達治作詩の男声合唱組曲“わがふるき日のうた”を、2014年は「尾崎喜八の詩から」をとりあげました。
このように多田武彦氏の作品を大事に歌い続ける私たちと一緒に歌いませんか !!

(写真はアルマ第1回定期演奏会[1954年(昭和29年):指揮 多田武彦氏 ])です。

アルマ・マータ・クワイア 70年のあゆみ

1.草創期(昭和20年代)

太平洋戦争に従軍中の南方の島で南十字星を仰ぎ見ながら「生きて祖国へ帰れたら男声合唱団を作ろう」と思い定めていたT1吉田忠男(故人)が、昭和22年7月12日、京大合唱団第16回定期発表会にОBステージを組んでともに歌った男声仲間に呼びかけ、参集した全員の賛同を得て新しい男声合唱団結成が決まり、7月18日(金)大阪市中央公会堂第5号室で第1回の練習を開始しました。団名はT2岸畑健次郎(故人)の案が採用され、「アルマ・マータ・クワイア」(Alma Mater Choir)と決定し<Alma Materはラテン語で母校の意>、ここにアルマが呱々の声をあげます。この練習には京大男声出身者8名及び東大出身者1名の合計9名が出席しました。創立時に全員で確認された「団是」ともいうべき次の3項目は、その後時代の変遷とともに少しずつ形は変わりましたが、その精神は脈々と今に続いています。
1 アルマは特定の大学出身者の集まりではなく、歌の好きな男声を広く迎え、ともに歌う。
2 そして、単に合唱するだけではなく、互いに啓発し合い、家族を含めた終生の友垣を結ぶ。
3 何らかの事情でアルマを離れることがあっても、その事情が解消すればいつでも戻ってくることができるよう、ずっと席を空けて待っている。アルマに退団はない。昭和26年ごろから京大男声合唱団を卒団し勤務先が京阪神に決まった人たちが全員アルマに入団するようになり、その人たちが合唱好きの会社の同僚に声をかけるなどして団員数も増加し、活動が活発化しました。しかし、戦後のインフレによる物価高騰のあおりで練習場賃借料が相次いで値上げされたことなどにより練習場所が確保できず、活動が低迷したこともありましたが、アルマ試演会の開催、関西合唱コンクールへの出場、NHK大阪中央放送局への数度のラジオ出演などの諸活動が持続的に行われ、昭和29年6月26日(土)、ガスビルホールで開催された第1回発表会(演奏会)へとつながっていきます。

2.第1次発展期(昭和29(1954)年ごろ~昭和42(1967)年ごろ)

この時期は、転勤によるメンバーの異動はありましたが、京大男声合唱団卒団者の人材供給が安定的に行われ、少したって練習場も大阪YWCAに固定するなど、諸条件が整ったこともあって充実、発展に向かいました。のちに作曲家として名を成す多田武彦が昭和28年に大学を卒業して入団し、直ちに指揮者としてアルマを指揮、指導します。

多田が転勤により団を離れる昭和32年までこれが続きました。昭和29年、第1回発表会の後、11月3日に行われた関西合唱コンクールに多田の指揮で出場したアルマは、一般の部で一挙に4位の成績を収めました。このほか毎年の定期演奏会以外に「五大男声合唱の夕べ」(ジュピター・コール、新月会、クローバークラブ、アルマ・マータ・クワイア、六甲男声合唱団により、昭和30年3月及び12月、大阪・産経会館で)出演、2回にわたる舞鶴演奏旅行、尾道演奏旅行(いずれも現地合唱団との交歓演奏会)、京大合唱団定期発表会への連続賛助出演、ラジオ番組への出演など、充実した活動を行っています。

3 停滞期(昭和43(1968)年ごろ~平成元(1989)年ごろ)

しかし、昭和35年、池田勇人内閣の「所得倍増計画」発表によって始まったわが国経済の高度成長は、昭和40年代に入って社会の状況を大きく変え、これが直接の原因となってアルマの活動が停滞することになります。GNPの急成長とともに、社会の中堅に位置するアルマ団員の多くは企業戦争に駆り出され、企業戦士となって八面六臂の活躍をしました。いきおい残業続きで、アルマの練習に出席するどころではなくなりました。第1次発展期には常時50名以上が定期演奏会に出演していましたが、徐々に団員数が減り始め、昭和47年には17名まで減少し、昭和50年には定期演奏会が開催できなくなりました。こうした状況の中でアルマ解散論が起こり、団内で議論が続けられましたが、アルマ伝統の灯を守ろう、というT1の吉田と松木俊明(故人)の熱意と行動力により、少なくなった当時のメンバーがアルマの旗のもとに結集し、難局を乗り越えました。この苦しい中にも、縁故ある女声合唱団や器楽合奏団などに賛助出演をお願いし、楽しく華やいだ演奏会を維持してきました。なお、昭和56年に始まった「四つの男声合唱の夕べ」―翌年から5団体となり、「五つの男声合唱の集い」(ANCORの会)となった―に参加し、37年間続いたこの会に現在も休むことなく参加しています。

4 第2次発展期(平成2(1990)年ごろ~平成7(1995)年ごろ)

この頃にはわが国経済も低成長期に入っており、アルマの企業戦士たちも定年を迎える年齢に差しかかっていました。ここで一気にアルマの勢力を立て直すため、①定年前後の旧団員への復帰呼びかけ ②昭和40年代に京大男声合唱団を卒団した後輩たちへの入団呼びかけ などを行い、この結果ようやく団員数も50人を上回るまでに回復しました。また、平成9年に迎える創立50周年を目指し、そのプレ行事として創立45周年に当たる平成4年の第33回定期演奏会には、元アルマ団員であり当時全日本合唱連盟副理事長(のちに理事長に就任)を務めていた吉村信良(故人)を客演指揮に招き、多田武彦作曲・男声合唱組曲「緑深い故郷の村で」を演奏しました。

5 展開期(平成8(1996)年ごろ~平成14(2002)年ごろ)

団員数が60名を超え70名にも達しようとしたこの時期、練習環境の充実を背景に団発展のための数々の施策を実行しました。まずその一つが「創立50周年記念・欧州演奏旅行」です。平成8年9月14日から24日まで、団員とその家族及び若干の応援団合わせて総勢75名が独・墺・伊3国を訪問し、4か所で演奏会を開きました。平成9年11月には、創立50周年記念・第37回定期演奏会を開き、先輩の多田武彦を客演指揮に迎え、同氏の組曲「父のゐる庭」を演奏しました。このとき初めて「いずみホール」を演奏会場とし、以後、今日まで続いています。また、平成11年5月にはソウルで行われた日韓合唱祭に招待され、日本から参加した4団体の一つとして、ソウル芸術センター・コンサートホールでの演奏会に出演しました。さらに団の一層の音楽的充実、向上を目指して、平成12年、合唱界の泰斗、東京混声合唱団桂冠指揮者・田中信昭を招聘して指揮、指導をお願いし、現在に至っています。

6 現在(平成15(2003)年ごろ~平成29(2017)年)

充実した団活動はその後も続き、平成17年7月から練習会場を(社)中央電気倶楽部に移して、安定的な練習環境が実現できました。前述の東混桂冠指揮者田中信昭からは、その卓抜した合唱指導を通じて、音楽だけではなく、心身のあり方、合唱をするための鍛え方を教えられています。

年1回開く定期演奏会以外の活動は枚挙にいとまありませんが、その主なものは次の通りです。

・平成14年8月  ロシア・ウクライナ音楽旅行(キエフ芸術大学合唱団と交歓演奏ほか)

・同年~平成16年 韓国有数のコリア男声合唱団と交流、相互訪問し各定演に賛助出演。

・平成18年6月 宮崎・鹿児島演奏旅行。宮崎コールフロイント、鹿児島ハイドン協会と交歓演奏。

・平成19年6月 「樅の樹ツアー」。尾崎喜八詩による組曲を歌うに際し喜八の故地信州甲州訪問。

・平成20年2月 韓国済州島のチェジュ大学を訪れ、同大学音楽関係者と交歓演奏。

・平成24年3月 東日本大震災から1年、犠牲者を追悼し、被災地を励ます「ゆりの礼拝堂小演奏会」開催。

このほか、「五つの男声合唱の集い」(ANCORの会)には継続して参加し、関西合唱連盟主催男声合唱祭“BACCHUS FESTA”へも出演しています。また、平成20年に男声合唱組曲「春のいそぎ」、平成24年に同「眠りの誘ひ」を多田武彦に作曲委嘱し、初演しました。

伝統ある男声合唱団の宿命である高齢化の波はいやおうなしに押し寄せてきますが、新しい団員の加入を得て、引き続き順調な活動を続けています。

・                          B2 増田 博・記

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ホームページ開設の理由

しかし、こんなアルマも今大きな課題をかかえています。
団員の高齢化に如何に対応していくかということです。

私達は、先人から受け継いだ合唱活動の素晴らしさを次の世代に、着実に引継いでいかねばなりません。
そういった意味で、団員全員が常に将来のアルマへの配慮と対策を考慮していなければなりません。
そこで、男声合唱に関心を持っておられる多くの皆様に、直接アルマへの入団を呼びかける為に、このホームページを開設した次第です。

!若き社会人の皆様、壮年期を迎えた皆様、。
そして中高年、セカンドライフを迎える団塊の世代、シニアの皆様!>

従来の社会不安に、東北の大震災、巨大津波被害、原発事故等が加わり、これからどうなって行くのか、どうしたらよいのか、サッパリ分らない、不確かな時代です。しかし、アルマの目指すところは明確です。それは、身に、富や財、名声は無くとも、男声合唱の素晴らしい感動の世界を多くの人と共に分ち合い、広げて行くということです。。
皆様のアルマ入団を心からお待ち申し上げております。詳しくは、「団員募集のページ」を、ご覧下さい。