「そのひとがうたうとき」をめぐって     林 茂紀

1.「私たちの星」
2.「あい」
3.「そのひとがうたうとき」
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.谷川さんの詩をめぐって、思いつくままに記してみたい。
1.わたしたちのほし
..この2行8連詩には「星」という文字が17回記されている。では松下さんは何回「ほし」という言葉が聴こえるように作曲されているか?
3+2+23(*3~5連)+7+9(*8~9連)で計44回にのぼる。*で詩は解体され、パズルのように組み合わされている。そして、その星は1回(数限りない星)を除けば、すべて地球を指している。
..宇宙の中の、私たちにとってかけがえのない素晴らしい星としての地球。その様々な魅力が「ほし」と歌うたびに光り輝くようでありたいと思わずにいられない。
..基本的にヘ長調。その明るさは6連「悲しみを」で一瞬陰る。その後の「語る星」のところで梶田先生が「喜びも悲しみもともに包み込んで、この星はあるよね」と話されたことが心に残っている。
..また73小節「ふるさとのほし」ではT1の♭E音で短調になるが、作曲者はなぜここでそうしたのだrうと思う。最後を輝かしくするために?
いや、素晴らしいだけではないという表現なのだろうか。
そんな時、まるでその思いと響き合うような詩に出会った。

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地球の客
.  躾の悪い子どものように
.  ろくな挨拶もせず
.  青空の扉をあけ
.  大地の座敷に上がりこんだ

.  私たち 草の客
.  木々の客
.  鳥たちの客
.  水の客

.  したり顔で
.  出されたご馳走に
.  舌づつみを打ち
.  景色を讃めたたえ
.  いつの間にか
.  主人になったつもり
.  文明の
.  なんという無作法

.  だがもう立ち去るには
.  遅すぎる
.  死は育むから
.  新しいいのちを
.  私たちの死後の朝
.  その朝の
.  鳥たちのさえずり
.  波の響き

.  遠い歌声
.  風のそよぎ
.  聞こえるだろうか
.  いま
.
そしてもう一篇『子どもたちの遺言』から
.
.  .生まれたよ ぼく
.  生まれたよ ぼく
.  やっとここにやってきた
.  まだ眼は開いてないけど
.  まだ耳も聞こえないけど
.  ぼくは知ってる
.  ここがどんなにすばらしいところか
.  だから邪魔しないでください
.  ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
.  ぼくが誰かを好きになるのを
.  ぼくが幸せになるのを
.
.  いつかぼくが
.  ここから出て行くときのために
.  いまからぼくは遺言する
.  山はいつまでも高くそびえていてほしい
.  海はいつまでも深くたたえていてほしい
.  空はいつまでも青く澄んでいてほしい
.  そして人はここにやってきた日のことを
.  忘れずにいてほしい

.         .****
.
..これらの詩のような苦さと、またそれにも増して、願いと祈りに満ち満ちた一句として、ラストの「ふるさとの星」「私たちの星」を歌いたいと思ったのでした。
.                .(2017年12月19日)
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2.あい
. 2曲目「あい」は「そのひとがうたうとき」をレパにと提示された時、最もこれは難曲と戸惑い「アルマにできますか?」と梶田先生に問い確かめた曲だった。
.「大丈夫できます」との返答。また10月の合宿時「皆さんが今歌ってられるバルトークの曲の方が、ある意味難しい。また松下さんはハンガリーに留学され、影響を受けているように思われる。
無調に見えるが、よく見ればちゃんと移動ドで音が取れるところも共通している」と話されたことを思い出す。
(これに応える形でB1香川さんが、B1パートの音を移動ドで取るやり方を詳細に記された。)
練習も最終盤にさしかかり、やはりこの曲が、ともすると崩れやすい不安を抱えたものとして残っている。アカペラだけになお。
. 前回練習時(12月20日)に、楽譜五線上に詩の言葉を黒以外の色で記しておこうと先生から指示があった。やってみて、更に詩の連に応じた番号(1~6)を書き込んでみると、なるほど詩の展開に応じて「あい」や「B.O.」「o」「a」「u」等のヴォーカリーズがどのように組み合わされているか、見晴らしがよくなった。
「あい」という言葉が、パート単独で、パート間で受け渡され、また一緒にという変化をもって何度も歌われる。試しにその回数を数えてみた。
何と75回。原詩では8回だから、その多さは驚くほどだ。それを詩の言葉のイメージに応じた響きで歌おうとするなら、その追求はどこまでも深く、気が遠くなりそうだ。だが、詩を書き込み、詩の喚起するイメージを前もって読み込んでおくことで、おなじ「あい」でも歌う側の心持ちが変わり、響きもそれに応じて変わるということはあるのではないだろうか。そこに望みをつなぐ。
.(ちなみに回数は「愛ということば」を省いての数)
また、そこでどんなハーモニーが生まれ、次にどう変化し動いていくか聴き感じながら歌えるようになれば、いっそう松下さんの表現しようとした味わいの妙も感じ取れるようになるのではとも。その時には空間にそういう音楽が鳴っていることだろう。残る練習に感覚全開で臨みたい。
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.さて、最後に出てくる詩句「愛 いのちをかけて生きること」にちなんで、一篇の詩を紹介してこの一文を終わりたい。
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.    . ただ生きる
.           .谷川俊太郎

. 立てなくなってはじめて学ぶ
. 立つことの複雑さ
. 立つことの不思議
. 重力のむごさ優しさ

.    支えられてはじめて気づく
.    一歩の重み 一歩の喜び
.    支えてくれる手のぬくみ
.    独りではないと知る安らぎ
.
.    ただ立っていること
. ふるさとの星の上に
. ただ歩くこと 陽をあびて
. ただ生きること 今日を
.
.    ひとつのいのちであること
. 人とともに 鳥やけものとともに
. 草木とともに 星々とともに
. 息深く 息長く
.
. ただいのちであることの
. そのありがたさに へりくだる
…………  (NHKTV「なっとく介護」で本人朗読)
.
.    .          .2018年1月7日
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3.そのひとがうたうとき

①「そのひとがうたうとき」「そのこえはとおくからくる」という、この詩の全篇を貫くテーマが冒頭で提示される。曲もピアノによる4回のヘ長調主和音アルペジオで始まこの詩は6行5連で構成され、作曲もこれに準じてなされている。そこで仮に①から⑤まで番号を付けて見ていきたい。
り、全パートユニゾンでテーマを歌い出す。スケールの大きい堂々たる始まり。
(だが「そのひと」が誰を指すのかは最後まで明示されることはない。ただ「そのこえ」を「うた」として発する存在として象徴的に示される。)
そして詩は「とおくから」に焦点を当てて展開され、それは2連に引き継がれる。
「としよりのおもいで」「たいこのこだま」は過去からの様々な声を象徴するだろう。
だが「あらそいあうこころとこころのすきまから」は時を超え、人と人から国と国へと広がりを持つ。
. それはかたくなな「あらそいあうこころとこころ」のもたらす悲惨を幾度となく経験してきた人類の歴史を照射し、いまなお危機の時代に生きる我々にその「すきま」から来る声へと想像力を誘わずにおかない力を持つ。
②は「もっととおくから」がテーマの連になっている。視点が、大昔の海の深み、降り積もる雪の静けさ、忘れられた祈りのつぶやきへと誘われる。
どれも声を発しそうにない、或いは聞こえそうにないところからも「そのこえはくる」と詩人は言う。
③ここで詩は展開する。そのひとの「のど」「うで」「あし」「め」「みみ」が示される。曲も転調しテンポはAllegroに。「疾走感がほしい」と梶田先生は言われたのを思い出す。
. 涸れることのないのど、見えない罪人を抱きとめる腕、大地を打つ足、光速をとらえる眼、まだ生まれぬ赤ん坊の足音へ澄まされる耳。
生命力にあふれ、限りない優しさをあわせ持つ存在としての「そのひと」。
その後、曲はニ長調に転調しヴォーカリーズでテーマを再現し、4へ橋渡しする。
④再び転調し、PからmPで密やかに歌われる世界へ。
. 詩には初めて「わたし」が殆ど唐突に登場する。夜、不安で独りぼっちの見知らぬ子どもが流す涙は「わたし」の涙だと。「そのひと」の歌に結ばれる「なみだ」。またここで「どんなことばももどかしいところに」の詩句が不意に出てくる。
ここで「言葉で表現する詩人が、こう書くのはすごいなあ」と梶田先生が話されたことがある。
その話につなげて谷川さんの次の詩を紹介したい。

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.        . 捧げもの.      .堀尾さちこさんに
.    .                                .(2006年)
. ヒトのことばは
.    名づけられぬものへの捧げもの
. 夕やけの前でことばはいつももどかしい
.
.  ある土地のことばは
.     もうひとつの土地のことばへの捧げもの
.     愛が新しいことばの種子を根付かせる

.     私のことばは
.    あなたへの捧げもの
.    香りと味がふさわしいものでありますように

.    そして詩のことばは
.    限りない宇宙と限りある人々への捧げもの
.    苦しみとと希喜びと思い出望に醸されて
.
.    * * *
.
.  ここにも「もどかしい」が出てくる。それでも「ことば」は様々な相手への「捧げもの」なのだと、この詩では語る。
(すると「そのひとがうたうとき」の詩も、実は名づけられぬ「そのひと」への「捧げもの」なのかと連想されてくる。)
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.  言葉は「そのひと」を指し示すことはできても、とらえて差し出すことはできない。「そのひと」と記すほかないもどかしさ。
だが、そこからは「たしかなこたえがきこえる」。それはひとつの「うた」。だからこそ詩人は次に
「だがうたはまたあたらしいなぞのはじまり」と書く。
.  松下さんはこの詩句を作曲から省かれた。
そのかわり「きこえる」をこだまのように響かせている。
. B1からT2へ、2部のT1からやはり2部のT2・B2へと4回。そのこだまはPPとなって消えるのではなく、限りなく遠くへ届いていくということだろう。
⑤そして最後の連になる。変ロ長調に転調し1よりも4度高いところから歌い始められる。
. . ピアノは上に4度、下に5度、音を広げながらそれを導く。「くにぐにのさかいをこえさばくをこえ」これは谷川さんの他の詩にも登場する象徴的な詩句である(後掲)。
.  それにここで「そのこえ」は、それまでの「くる」ではなく「とどく」になっていることに気づく。「かたくななこころ」「うごかないからだ」は「不自由」の象徴だ。
.「そのひとがうたうとき」「そのこえ」は、自由を縛るものを越え、未来へ、そこで生きている「もっともふしあわせなひとのもとまで」とどくと詩人は記す。
.   未来への確信を込めた祈りが伝わってくるように思わずにいられない。松下さんもPで、そのように歌うことを求められているのではないだろうか。
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.          .歩くうた  …(1980年)
.  ひとは歩く てくてく歩く
.  ひとは歩く のそのそ歩く
.  ひとは歩く ぶらぶら歩く
.  ひとは歩く 道がなくても
.  ひとは歩く 砂漠をこえて
.  ひとは歩く よそ見しながら
.  ひとは歩く 好きな方へ
.  ひとは歩く 今日から明日へ
.  ひとは歩く 自分の足で
.  ひとには歩く 自由がある
.
.  ひとは歩く すたすた歩く
.  ひとは歩く とぼとぼ歩く
.  ひとは歩く のしのし歩く
.  ひとは歩く 扉を開けて
.  ひとは歩く 錠をこわして
.  ひとは歩く 壁を突きぬけ
.  ひとは歩く 大地を踏んで
.  ひとは歩く 国境を越えて
.  ひとは歩く ひとを助け

.  ひとには歩く 自由がある

..                            .(アムネスティインターナショナル日本支部のために)