演奏会概要
アルマ・マータ・クワイアの単独定期演奏会。当団出身の作曲家多田武彦のアカペラ「中勘助の詩から」を第1ステージ、現在注目の作曲家上田真樹のピアノ付き「夢の意味」を第2ステージ、客演指揮者松井先生による長く愛されてきた男声合唱の王道「月光とピエロ」を第3ステージで演奏する。今回は60回という節目の演奏会ということで、第4ステージにアラカルト記念ステージを用意した。
(曲目解説)
Stage1 男声合唱組曲「中勘助の詩から」
この組曲は、アルマの先輩で作曲家の多田武彦氏の第5番目の組曲作品で、多田氏初期の優品である。関西学院グリークラブの委嘱により作曲され、昭和34(1959)年1月に初演された。 詩人、作家の中勘助は繊細優美な筆致で子どもの世界を描いた小説「銀の匙」で名高い。
明治18(1885)年、勘助は旧今尾藩士の子として東京・小石川に生まれ、東大国文科を卒業。
その直後、九州帝大医科教授の兄金一が脳溢血で倒れて再起不能となり、以後、嫂の末子とともに家の重荷を背負うことになった。それまで兄との相剋に悩まされてきた勘助との間にますます葛藤が深刻化する。しかし自身が病身のため、嫂末子の助けを借りながら野尻湖畔、信州追分、手賀沼畔、平塚などを転々として心身を癒す。勘助37歳のころ、赤坂表町(今の港区元赤坂1)に家を購入して家族を住まわせ、後、自身もここに戻り家族と同居する。その後57歳で嶋田和と結婚、静かな晩年を送った。多田さんと交流ができ、中氏はこの組曲を録音で感慨深く聴かれたという。
第1曲「絵日傘」は、昭和初期の風情が色濃い赤坂表町の景物をわらべ唄風に歌う。近隣の少女たちが唄を歌いながら絵日傘をくるくる廻して、中家の庭先で遊んでいる…。第2曲「椿」は、勘助が独り仮寓した手賀沼のほとりから五町ほど向こうにある、「音に名高い久兵衛さんの椿」を俗謡調で歌う。第3曲「四十雀」は、野尻湖畔に独居する勘助の許へ飛んできた四十雀に対する愛情と愛着。「お前と二人だけでいつまでも暮らしたい」と…。その後平塚海岸に移った勘助は、第4曲「ほほじろの声」で、庭にやってきたほほじろの声に誘われて過ぎ去った湖沼生活を思い出しながら、「ひとりにてあらまし。ひとりなるこそよけれ。」と詠う。第5曲「かもめ」。「ゆりかもめの嘴が、脚が紅いのはなぜ?」「それはね、…」と、勘助とゆりかもめとの雅やかな問答。第6曲「ふり売り」は、勘助が内房岩井海岸に遊んだ時に出会った、亭主がその朝に獲った新鮮な魚を売り歩く妻女の行商風景。そして終曲の「追羽根」。赤坂表町に戻った勘助は、姉(嫂)末子と協力して兄と母の世話や「家」の維持に努めたが、積年の心身の労苦、疲弊のため姉は55歳にしてクモ膜下出血で倒れた。半年に及ぶ療養で、ようやく家の中の用が少し足せるようになった姉が、足慣らしに筋向こうのお稲荷さんへお詣りに行った様子をテノールが叙唱(Recitativo)で歌う。一夜明ければ明日は元旦、姉の回復と喜びが重なる。合唱の最後、「乙女の夢の追羽根を 吹きてちらすな春の風」に、乙女の夢をもって兄のところへ嫁いできたはずの姉が、苦労だけの人生であったことへの勘助の思いがあらわれている。
(B2 増田 博)
Stage2 「夢の意味」
アルマ・マータ・クワイアでは「今を生きる作曲家の、やがてクラシックになりうる曲をとりあげよう」というコンセプトで一つの曲集を選び、毎年挑戦しております。音楽がポップス(流行歌)からクラシック(普遍的)になるためには世代を超える必要があります。曲の中にある普遍的なテーマ、それが世代を超えて共有できること、そしてそれが音楽を通して感じられること、これが必要なのだと思います。慣れ親しんだ曲を歌うことも楽しいですが、それに加えて時代を超えていく挑戦もしてみたいと思い、日々取り組んでおります。今回は、昨今精力的に合唱曲を作曲されている上田真樹さんの「夢の意味」を取り上げました。
「夢のような現(うつつ)のような」
中国の故事「一炊の夢」などを踏まえて作られたこのフレーズが、曲集全体に流れるテーマです。この曲集は近年、多くの大学生に取り上げられているようですが、アルマ・マータ・クワイアでやってみたいと思ったのは、この曲に流れるコンセプトが世代を超え共有できると思ったからです。
第1曲「朝あけに」は、起きているのか、夢の中にいるのか、そんな不思議な感覚から始まる。幼年時代へ感じる言いようのない懐かしさは、もはや現実ではなく、過去の夢なのだろうか。そして、過去にフラッシュバックするようにして懐かしさとともに軽快な足取りで始まる第2曲「川沿いの道にて」。この世界の、素晴らしい自然とともに生きていた少年時、ひと夏の終わりに感じた喪失感。それもまた夢のよう。
第3曲「歩いて」歩いてきた道を象徴するように濁音の多い歌詞で表現される。生活の現実に懸命に立ち向かってきた歩みを振り返る時、人生の岐路において自分の選んだ道、選ばなかった道が見えてくる。交錯する想い・・・それでもこうして歩いてきた道がある。
第4曲「夢の意味」は組曲のタイトルにもなっており「生きていることの意味」を問いかける。それは若者だけが抱く問いだろうか。普遍的な問いは世代を超え、夢のなかで共有されるのかもしれない。そして曲は途切れずに、その夢の意味をかみしめるように終曲の「夢の名残」へ。夢と現の間を行き交いながら生きてきた人生を大肯定し、生命のエネルギーを壮大に表現する。生を味わい続けようとする想いとともに、ゆったりと歩みを止めずに・・・。
心地よく聴きやすいメロディーが聞こえてきますが、こういう曲ほど合唱団メンバーにとっては難しい箇所が多い曲です。きれいにハモル夢と必死に練習している現実との間を行き交いつつ・・・。そこから立ち上がる歌に「夢現=無限」の可能性を感じていただけたらと思います。
(太田茂之)
StageⅢ「月光とピエロ」
堀口大學の詩、清水脩の作曲による男声合唱組曲「月光とピエロ」は1953(昭和28)年音楽之友社から出版されて以来、日本の男声合唱にとって古典とも言うべき曲として歌い継がれてきている。この曲について記された作曲者によるコメントを以下に紹介したい。
――第二曲「秋のピエロ」は、昭和二十三年、第三回全日本音楽コンクール課題曲作曲募集の当選作である。翌年、私の指揮していた東京男声合唱団のために、他の四曲を加え、組曲とし、この合唱団で初演した。
堀口大學のピエロをうたった詩を集めたもので、「月光とピエロ」という題名は作曲者がつけたものである。昭和二十三、四年といえば、敗戦の混乱が最もひどい頃で、人々は明日の糧を求めてさまよい絶望のふちに立っていた。それでも人々は生きてゆかねばならなかった。この曲はそうした風潮に投じ、意外の共感をよんだ。
深い悩み、遂げられぬ恋、そして耐えがたい絶望、ピエロはそれでも、異様な衣装に身をつつみ、真白く顔を塗りつぶし、こっけいな身振りと笑顔をつくり、舞台に立たねばならない。ピエロならずとも、人間はいつの時代でもこのような悲しい一面を持っているのではなかろうか。
この組曲に、私はそのような人間の側面をうたいこめたいと思った。五つの曲、それぞれのもつ内面的な詩情を、人間の声の力で表現していただければ、幸である。
堀口大學が詩集「月光とピエロ」を刊行したのは1919年、第一次世界大戦後の、やはり荒廃した世相の中であった。外交官だった父に従って西欧に暮らし、パリ在住の詩人・画家などとの親交を通じてフランス詩に親しみ、1925年訳詩集「月下の一群」を出版して日本に大きな影響を与えた。
「月光とピエロ」をめぐって、大學自身により以下の言葉が残されている。
―はたち代、私は甚しく病弱だった。若くして世を去った母からの遺伝もあって、人もわれも、大學が三十まで行き得ようとは、誰ひとり思わぬほどの蒲柳の質だった。そのためである。「月光とピエロ」のどの頁、どの行間にも、死の影がわびしいミアズムとなって、揺曳しているのは。はたち代、私はあせった。ほど近い自分の最後の時を待ちながら、せめて一行でも多くの詩を書き残そうと。
第一曲「月夜」の冒頭に「doloroso」(悲しみをもって)と記されている。指揮者の松井さんは、これが全曲の基調として流れ、その背景に詩人アポリネールと画家マリー・ローランサンの悲恋があると指摘される。フランス、パリ、セーヌ川、そして詩「ミラボー橋」をイメージしつつ歌うことを求められた。また二曲目「秋のピエロ」四曲目「ピエロの嘆き」は対(セット)として構成され、三曲目「ピエロ」とりわけ「ピエロは月の光なり」にこの組曲の山がある。終曲の五曲目では歌詞の大胆な組替え・編集も行い、月の光に照らされながら二人で踊る姿は悲しさに通じるような喜びに溢れている。この構築性に富んだ組曲を、楽譜をよく読み、作曲者が求めたように歌い上げたい、と。厳しくも目を開かれるような充実した練習を重ねて、本日を迎える。
(T1 林 茂紀)
Stage 4 第60回定期演奏会 記念ステージ「歌は喜び」
―第60回定演にあたり団員皆で選んだ “この5曲”―
今回の定演記念ステージで「何を歌うか」、そしてそれを「どうして選ぶか」。このために「第60回定期演奏会記念ステージ曲目検討委員会」が置かれ、4名の担当委員が選曲事務を進めることになった。私たち団員が歌い続け、長年アルマの合唱を聴いてくださっているお客様のお耳になじんだいわゆる愛唱曲を一つのコンセプトとして、団員一人ひとりに選曲してもらった結果、曲目検討委員会に寄せられた曲は62曲、希望件数にして177件に及んだ。曲目検討委員会で検討を重ね、このうち「団歌」は別扱いとし、残りの61曲から11曲を選んだ。内訳は先輩作曲家多田武彦氏の作品から4曲、その他の邦人作品が2曲、外国曲が5曲である。これをアルマの役員会に答申した。役員会では団員の意向を踏まえて検討し、指揮者の意見も容れてプログラムに記載の5曲を決定した。まさに「みんなで選んだ」5曲である。皆様の日ごろのご支援に深く感謝しつつ歌いたい。 (B2 増田 博)
Stage4 第60回定演記念ステージ
このステージではアルマの定演が60回目を迎えることを記念して、今のアルマならではの選曲で構成しました。これらの曲と生きる私たちの歌の世界を、ともに楽しんでいただければ幸いです。
・「美しく青きドナウ」アルマでは2019年第57回定演以来、ヨハン・シュトラウスⅡの作曲によるワルツの名曲「美しく青きドナウ」「酒・女・歌」「ウィーンの森の物語」を演奏してきました。それも団員による新しい日本語の訳詞で。「美しく青きドナウ」は堀内敬三の作詞によって広く愛唱されていますが、原詩にできるだけ忠実な訳詞で歌おうと志したのでした。「流れ入る兄弟のすべてを受け入れ」「水底で見てきたすべてをささやき伝え」「こころをひとつに結び」「どんな時も励ましてくれる」母なる川ドナウへの限りない愛を誇らかに歌います。
・「風が」は、アルマで最も若い団員でもある太田さんが、指揮者となって取り上げた記念すべきデビュー曲「心の四季」の第一曲です。春・夏・秋・冬をめぐる風。風に吹かれる「桜の花びら」「ぶどうの実」「いちょうの葉」「雪」のように、私たちの人生は見えない時間に「吹かれ」「磨かれ」「・・・」「包まれている」と歌います。
・「作品第肆(し)」は「かわづらに~」と歌い出されるアルマの愛唱曲です。組曲「富士山」は草野心平の詩による多田武彦さん初期の、意欲に満ちたスケールの大きい組曲。その第二曲です。
ウマゴヤシ(クローバー)の原に寝そべっている詩人の耳・目には「葦の葉のささやき」「ヨシキリの鳴き声・舌」そして近景には花輪を作り、それをつないで縄跳びに興じる少女たち。それに応じて近づき遠くなる富士。春の光あふれるのどかな川べりの情景。
・「琵琶湖周航の歌」は2016年アルマ創立70周年を記念して委嘱、2017年の第55回定演において客演指揮・田中信昭、ピアノ・福島久仁子によって初演。その後、機会あるたびに歌い継いできました。皆さんもよくご存知のこの歌、篠田さんは「1番で船出し6番までで琵琶湖を一周する、それにつれて景色が変わっていくイメージで編曲した」と語ってられました。琵琶湖の波を表すピアノの変化とともに進み展開していく歌の世界。青春の「熱き心」が伝わりますように。
・「雨」はアルマにとって忘れがたい曲です。2017年、多田さんの組曲「雨」をレパとして練習を重ねていた12月13日、練習は熱気にあふれ、この終曲「雨」を歌っている時にソロも含め、かつてないような美しいハーモニーに満ちた合唱ができたのでした。そして後になって、その前日の12日に多田さんがこの世を去って行かれたことを知ったのです。私たちは、あゝあの時、多田さんはアルマのもとにおいでになっていたんだな、と思ったのでした。
(T1 林 茂紀)